太平洋赤道域の海面水温が平年よりも高くなる「エルニーニョ現象」が現在発生しており、この夏から秋にかけてその勢いを増し、さらに強力な「スーパーエルニーニョ」へと発展する可能性が濃厚になってきました。気象庁は本年6月10日、春からエルニーニョ現象が発生しているとみられ、秋にかけて継続する見込みであると発表しています。この現象が地球温暖化と複合的に作用することで、私たちの暮らしや世界経済に前例のない影響を及ぼす懸念が強まっています。単なる「異常気象」の枠を超え、新たな「気候の常態」が到来する可能性に、日本そして世界はどのように向き合うべきなのでしょうか。
「スーパーエルニーニョ」とは何か:その定義と過去の猛威
エルニーニョ現象は、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年よりも高い状態が1年程度続く自然現象です。通常、この海域では東から西へ吹く貿易風によって暖かい海水が西側に集められますが、何らかの原因で貿易風が弱まると、暖かい海水が東へ広がり、海面水温が上昇します。この状態が大気循環にも影響を与え、世界各地で異常気象を引き起こす要因となります。
そして「スーパーエルニーニョ」とは、このエルニーニョ現象の中でも特に規模が大きく、気象への影響が強く出やすい状態を指す俗称です。正式な科学用語ではありませんが、一般的に、エルニーニョ監視海域(Niño 3.4)の海面水温の平年との差(偏差)が3ヶ月平均でプラス2.0℃以上に達した状態が数ヶ月持続する場合に用いられます。過去には1982年から1983年、1997年から1998年、そして2015年から2016年にかけて、このスーパーエルニーニョが発生したと記録されています。
特に歴史的に見ると、1877年から1878年にかけて発生した強力なエルニーニョ現象は、世界的な飢饉を引き起こし、インド、中国、ブラジルなどで5000万人以上が死亡したとされ、人類史上最悪の環境災害の一つとして語り継がれています。この時の干ばつは数年にわたり広範囲に及び、当時の植民地政府の政策も相まって甚大な被害をもたらしました。
今回のエルニーニョ現象は、気象庁の発表によると今年の春から発生しているとみられ、今後秋にかけても続く見込みです。さらに、気象庁の資料では秋には海面水温が平年より2℃を超える可能性が高いと予測されており、アメリカ海洋大気庁(NOAA)も今年11月から来年1月にかけてスーパーエルニーニョが発生する確率を63%と予測しています。世界各国の予測モデルでも、今秋以降に海面水温偏差がプラス2℃から最大プラス3℃を超えるシナリオが増えており、スーパーエルニーニョの発生可能性は着実に高まっていると言えるでしょう。
気候変動下の日本:猛暑・豪雨・巨大台風の新たな常態
エルニーニョ現象が発生すると、日本では夏季は太平洋高気圧の張り出しが弱まり、冷夏になりやすいというイメージがかつてはありました。しかし、近年の地球温暖化の影響により、この傾向は大きく変化しています。
実際、前回のエルニーニョ発生時の2023年には、日本の夏の平均気温は統計開始以来で2位タイの高温を記録しました。今年も、気象庁はこのエルニーニョ現象と大気の状態を含めた予測に基づき、日本付近は高温になる可能性が高いと予報しており、猛暑が予想されています。ウェザーニュースの予測では、2026年6月から11月にかけての日本の平均気温は平年よりプラス0.75℃からプラス1.2℃高いとされており、エルニーニョ現象が発生しても暑い夏になるとみられています。一部では40℃を超える「酷暑日」への警戒も呼びかけられています。
また、スーパーエルニーニョは、豪雨や台風の特性にも影響を与えます。エルニーニョ現象が発生すると、台風が日本から平年より離れた場所で発生しやすくなり、その結果、日本に接近する際にはより発達した勢力の強い台風となる恐れが高まります。2015年のスーパーエルニーニョの際には、年間の台風発生数が27個に達し、そのうち約6割にあたる16個が「非常に強い勢力」にまで発達しました。この年には、沖縄・石垣島を直撃した台風15号による甚大な被害や、茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊するなど、記録的な豪雨による水害が各地で発生しています。さらに、「ゲリラ雷雨」と呼ばれる都市部での大規模な冠水や河川の氾濫を招く集中豪雨のリスクも高まります。
このように、気候変動を背景としたエルニーニョ現象は、日本の気候パターンを根本から変え、猛暑、長雨、そして巨大台風の新たな常態をもたらす可能性を示唆しています。私たちは、過去の経験則にとらわれず、新たな気候リスクへの適応が求められているのです。
世界経済を揺るがす「食料インフレ」と「サプライチェーン」の影
スーパーエルニーニョがもたらす影響は、気象災害に留まりません。世界各地で発生する極端な大雨や干ばつは、食料生産に甚大な打撃を与え、世界規模での食料インフレとサプライチェーンの混乱を引き起こす可能性があります。
前回の2015年から2016年のスーパーエルニーニョでは、東南アジア全域で記録的な干ばつが発生し、食料供給に広範な影響が出ました。例えば、ベトナムでは過去90年で最悪とされる干ばつにより、コーヒーや胡椒の生産に壊滅的な被害が生じています。オーストラリアでもエルニーニョは農産物生産に直接的な影響を与え、同国の主要輸出品目である小麦、砂糖、牛肉などに打撃を与えます。農作物の収穫量減少は、当然ながら食料価格の高騰を招きます。日本総合研究所の試算では、スーパーエルニーニョによって農業生産量が減少した場合、食料価格が前年比で13%押し上げられる可能性があるとされています。
日本は食料の多くを輸入に頼っているため、海外の農業生産量の減少や価格高騰は、日本の家計を直撃しかねません。また、漁業においても海水温の上昇は漁獲量の減少を引き起こし、水産業への打撃も避けられないでしょう。
さらに、経済への影響は食料品に限定されません。極端な気象はインフラに被害をもたらし、復旧コストの増大や観光業の低迷など、各国経済活動全体に影響を及ぼします。また、ナフサ(粗製ガソリン)などの石油化学製品の基礎原料の供給が不安定化することで、プラスチック製品や肥料などの資材価格が上昇し、農業やアパレル、建築、医療など、幅広い産業のサプライチェーンに具体的な課題が生じることが指摘されています。
「気候レジーム・シフト」の可能性:地球システム変容への警鐘
今回のスーパーエルニーニョが懸念される背景には、地球温暖化との複雑な相互作用があります。現在のエルニーニョ現象は、人間活動による気候変動という「ベース」の上に発生しており、この二つの現象は互いに影響し合い、その影響を深刻化させていると指摘されています。
温室効果ガス濃度の上昇による温暖化は、エルニーニョが地球の平均気温を未踏の領域に押し上げる一因となり得ることが明らかになってきました。温暖化によって海洋全体が熱を帯びている現状では、強いエルニーニョが発生し、海洋の熱が放出されても、次に強いエルニーニョが発生するまでの海洋が熱を蓄積(リチャージ)する期間が短縮され、より頻繁に強いエルニーニョ現象が誘発される土壌が整ってしまったと考えられています。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告や最新の研究論文(Geophysical Research Letters, 2025年)では、人為的な強制力が続く限り、強いエルニーニョの発生頻度が増加すること、そして温暖化によって大気中の水蒸気保持能力が高まる(気温が1℃上昇するごとに約7%増加)ため、同じ強度のエルニーニョであっても、それがもたらす豪雨や干ばつの激しさは、かつての時代とは比較にならないほど増大することが指摘されています。
さらに注目すべきは、2025年12月に『Nature Communications』誌に掲載された研究が示唆する「気候レジーム・シフト(CRS)」の可能性です。スーパーエルニーニョが気候システムを突然かつ持続的な別の安定状態へと遷移させる強力なトリガーになるというもので、その影響は現象終了後も数年、あるいはそれ以上にわたって残存するとしています。これは、単なる一時的な異常気象ではなく、地球の気候システムそのものが変容するリスクがあるという警鐘であり、私たちが直面している問題の根深さを示しています。
日本が取るべき複合的な備え:社会インフラから個人の意識まで
スーパーエルニーニョと気候変動が複合的に引き起こす未曾有のリスクに対し、日本は多角的な備えを強化する必要があります。まず喫緊の課題となるのは、異常気象による災害への備えです。記録的な豪雨や勢力の強い台風の接近に備え、ハザードマップの確認、非常持ち出し袋の準備、避難経路の確認など、個人レベルでの防災意識を高めることが重要です。
社会インフラの面では、老朽化したインフラの強化や、河川の堤防・排水施設の整備、土砂災害対策など、国土強靱化政策を加速させる必要があります。過去の災害事例から学び、災害発生時の迅速な情報伝達と避難体制の構築は不可欠です。
経済面では、食料供給の安定化に向けた国際協力の強化、国内農業の強靱化、食料備蓄の確保などが求められます。異常気象による農作物への影響を最小限に抑えるための技術開発や、輸入に依存する特定品目のサプライチェーンのリスク分散も重要となるでしょう。
中長期的な視点では、エルニーニョ現象と気候変動のメカニズム解明に向けた研究のさらなる推進、予測技術の高度化が不可欠です。これにより、より正確な気象予測に基づいた早期警戒システムを構築し、災害による被害を最小限に抑えることが可能になります。また、温室効果ガス排出削減に向けた国際的な取り組みへの積極的な貢献は、長期的な気候リスクを軽減するための根本的な解決策です。
エルニーニョ現象の発生は、私たちに地球規模での連帯と、持続可能な社会の構築に向けた行動変容を強く求めています。予測される「新たな常態」に対し、政府、企業、そして市民一人ひとりが連携し、総合的な対策を講じることが、未来を守る鍵となるでしょう。